前回の記事で「今年は1億円を超えないのが目標」と書きました。
お金を貯めるのは簡単だけど使うのは難しい、という話の流れで。蓄財には正解があるけど消費には正解がない、だから本気で「使う」ことに向き合わないといけない、と。
あれから数週間。年明けの株式市場が順調に上がり、気づけば資産は9996万円になっていました。あと約4万円で億り人です。宣言したばかりなのに、もう目標が破綻しそうです。

うれしかなしい
資産が増えること自体は、まあ嬉しいんですよ。
インデックス投資を15年続けてきた成果が数字に表れている。株価が上がれば資産も増える。当たり前のことが当たり前に起きている。それ自体は健全なこと。
でもね、宣言したばかりなんですよ。「今年は1億円を超えない」って。
まだ1月の半ばですよ? 年間目標を立てて1週間で破綻しそうって、どういうことなの。

いやいや、資産増えてるんだから普通に嬉しいでしょ!何が悲しいのさ
そうなんだけど、そうじゃないんですよ。
「嬉しいけど悲しい」というか、「うれしかなしい」という造語がぴったりくる。資産が増えて嬉しい。でも、自分の「使えなさ」が露呈して情けない。
考えてみれば当然なんです。株価が上がれば資産は増える。一方でぼくの消費行動は変わっていない。収入(配当+労働収入)が支出を上回っている限り、資産は増え続ける。
つまり、「1億円を超えない」という目標を達成するには、株価が下がるか、ぼくがもっと使うか、どちらかしかない。株価はコントロールできない。だから「使う」しかない。
でも、それができないから困っているわけで。
なぜ使えないのか
蓄財は15年やってきました。
給料が入ったら一定額を投資に回す。ボーナスも同じ。生活費は最小限に抑える。このルーティンを淡々と続けてきた。
消費は? 練習したことがない。
「欲しいものを買う」という行為を、ほとんどしてこなかったんですよね。必要なものは買う。でも「欲しいもの」となると、よくわからない。

ルネ・ジラールの模倣理論によると、人間の欲望は他者の模倣から生まれるんだ。誰かが欲しがっているから、自分も欲しくなる。でも”反模倣的”な人は、他人の欲望に振り回されない。それが強みでもあり、同時に”何が欲しいかわからない”原因にもなりうるんだよ
『欲望の見つけ方』という本にこんな一節がありました。
欲しいものを知ることは、必要なものを知ることよりもずっと難しい
砂漠で喉が渇いているとき、水が欲しいのは自明です。誰かに教えてもらう必要がない。でも、基本的な欲求が満たされた後の「欲望」は、自分でもよくわからない。
ぼくは今、その状態にいるんだと思います。
生活に困っていない。将来の不安もそこまでない。基本的な欲求は満たされている。その先の「欲望」が、見えない。
前回の記事で書いた「蓄財には正解があるが、消費には正解がない」という問題。まさにそれが今、目の前に突きつけられている。
宙ぶらりんの1億円
じゃあ、誰かに相談すればいいのか。
富裕層向けのサービスってありますよね。プライベートバンクとか、ウェルスマネジメントとか。そういうところに相談すれば、お金の使い方もアドバイスしてくれるのかもしれない。
でもね、調べてみると、そういうサービスのターゲットは資産3億円以上なんですよ。
1億円って、統計上は「富裕層」の入り口ではある。野村総研の定義では、1億円以上5億円未満が「富裕層」。でも実際の富裕層ビジネスは、3億円以上をメインターゲットにしていることが多い。1億円では、相手にされない。
かといって、普通のサラリーマン的な消費をしていても、お金は増え続ける。
ぼくの生活費は月30万円程度。家賃、光熱費、食費、通信費。質素に暮らしている。会社員の収入で十分まかなえるだけでなく、配当収入や多少の副業収入がある。差し引きすると、毎月プラス。
しかも独身で子どももいない。家族への支出という「使い道」がない。
教育費もない。住宅ローンもない。介護費用も今のところかかっていない。一般的な家庭が抱える大きな支出項目が、ぼくにはない。

“使い道がない”って悩み自体が贅沢だよなw 世の中にはお金がなくて困ってる人がたくさんいるのにさw
わかってますよ。贅沢な悩みだって。
でも、贅沢な悩みだからといって、向き合わなくていいわけじゃない。問題は問題として存在している。
誰のために使えばいいのか。何に使えばいいのか。その答えが、まだ見つからない。
読書から見えてきた方向性
答えを探して、本を読んでみました。
『暇と退屈の倫理学』という本に、「消費」と「浪費」の違いが書かれていました。
消費社会における「消費」は、終わりのない欲望を刺激し、満足感を得にくい。一方で「浪費」は、物事を十分に経験し、味わうことで満足を得る行為。
要は、「買う」こと自体が目的になっている消費と、「深く味わう」ことが目的の浪費は違う、ということ。
『ハーバード流 幸せになる技術』には、幸せなお金の使い方として3つの原則が書かれていました。
1つ目、たまの大きな楽しみより、たくさんの小さな楽しみを味わう。2つ目、モノより経験に使う。3つ目、自分のためより他人のために使う。
なるほど、と思う。理屈はわかる。

答えが出なくても、問いを持ち続けること自体に意味があるんじゃないかな。焦らなくていいと思うよ
でもね、正直に言うと、これらは「答え」ではないんですよね。
「方向性のヒント」ではある。でも、具体的に「何に使えばいいか」は教えてくれない。それは自分で見つけるしかない。
本を読んでも解決しない領域がある。自分で試して、内省して、少しずつ見つけていくしかない。前回の記事で書いた「パーソナルファイナンスの”パーソナル”の部分」。まさにそれ。
とりあえず今年の方針
答えは出ていません。
でも、方針だけは決めておこうと思います。
「1億円を超えない」という目標は、維持する。できるかどうかわからないけど、少なくとも意識はしておく。株価が上がり続けたら破綻するかもしれない。でも、それはそれ。
大事なのは「使う」という意識を持ち続けることだと思うんですよね。
蓄財フェーズでは「貯める」ことに意識を向けていた。今は「使う」ことに意識を向ける番。意識を向けたからといってすぐに変われるわけじゃないけど、意識しないことには始まらない。
これは新しい実験です。
15年かけて蓄財の技術を身につけた。次は消費の技術を身につける番。どれくらい時間がかかるかわからない。でも、問い続けるしかない。
あと4万円で億り人。
うれしかなしい、という感情を抱えながら、今年も「使う」ことに向き合っていきます。
宣言したばかりで早くも破綻しそうなのは、正直情けない。でも、それだけ「使う」が難しいということなんだと思います。
蓄財の正解を極めた先には、正解のない問いが待っていた。
答えはまだない。でも、問い続ける。それが今できる最善だと信じて。
現場からは以上です。



コメント