何が自分を幸せにするかを知るのは難しい。だが、何が自分を不幸にするかを知るのは簡単だ。これは、人生の重要な真実である。
これ、モーガン・ハウセルの『アート・オブ・スペンディングマネーサイコロジー・オブ・マネー』に出てくる一節なんですけど、ぼくはこの言葉を読んだとき、ものすごく腑に落ちたんですよね。
世の中には「お金で幸せを買う方法」みたいな情報があふれてるでしょ。でもね、逆なんですよ。「お金で不幸にならない方法」を知っておく方が、よっぽど実用的だし確実なんです。今日はそんな話をしていきます。
幸せを追いかけるより、不幸を避ける方が簡単
「幸せになる方法」って、実はめちゃくちゃ難しい。
何をしたら幸せになれるのか、人によって違うし、同じ人でも時期によって変わる。昨日まで欲しかったものが、手に入れた瞬間に色褪せることなんてザラにある。
でも「自分を不幸にするもの」って、わりとはっきりしてるんですよね。
ギャンブルで大負けしたら不幸になる。お金がなくて友達に誘われた旅行を断らざるをえなかったら不幸になる。見栄を張って借金したら不幸になる。SNSで他人と比較して落ち込んだら不幸になる。これ、誰でもわかるでしょ。

ネガティブ心理学って分野があってね。幸福を直接追い求めるより、不幸の原因を取り除く方が効果的だって研究されてるんだよ。Via Negativaって考え方とも通じるね
そうそう、まさにそれ。幸せを足し算で増やそうとするより、不幸を引き算で減らしていく方が、確実に人生の満足度は上がる。
ぼくがFIREを目指したのも、突き詰めれば「お金がなくて不幸」というのを避けたかったからなんですよね。
贅沢がしたかったわけじゃない。お金の不安から解放されたかった。それだけなんです。
ぼくがSNSをほとんど使わない理由
で、ここからが本題なんですけど、ぼくはTwitter(X)とかのSNSをほとんど使わないんですよ。
理由はシンプル。他人と比較してしまうから。
SNSって、基本的に「比較の装置」なんですよね。みんな自分の良いところ、うまくいったこと、キラキラした部分を切り取って投稿するでしょ。それを見た側は、無意識のうちに自分と比較してしまう。
「あの人は旅行に行ってる、ぼくは家でゴロゴロしてる」「あの人は出世した、ぼくはまだこの位置」「あの人は結婚した、ぼくは独身のまま」
こういう比較が、じわじわと心を蝕んでいくんですよ。

え、でも情報収集とかには便利じゃん!完全に断つ必要ある?
うん、それはわかる。実際、ぼくも完全にゼロじゃないしね。ただ、タイムラインをダラダラ眺める習慣は意識的にやめたんですよ。
ぼくは自分のことを、精神的に強い人間だとは思ってないんです。SNSで誰かの成功を見たら、素直に「すごいな」と思えるより先に、「ぼくは何やってるんだろう」って落ち込む方が多い。
だったら最初から見なきゃいいじゃん、って話なんですよね。
あと、これは逆の立場の話なんだけど、ぼくは仮に「億り人」になったとしても、Twitterとかで自慢するつもりはないんです。ブログでは資産状況を公開してるけど、それとこれは違う。
なぜかというと、他人を惨めな気持ちにさせたくないから。
SNSで「資産1億達成しました!」とか投稿したら、それを見て落ち込む人が絶対にいるでしょ。ぼくがSNSを見て落ち込むように、誰かもぼくの投稿を見て落ち込む。その連鎖に加担したくないんですよ。

自分がされて嫌なことは、他人にもしない。シンプルだけど大事な考え方だよね
自分を不幸にするお金の使い方リスト
じゃあ具体的に、どんなお金の使い方が自分を不幸にするのか。ぼくなりに整理してみました。
まず、ギャンブル。これは言うまでもないですよね。期待値がマイナスの行為に、時間とお金を突っ込み続ける。勝ったときの快感を求めて、負けを取り返そうとして、どんどん深みにはまっていく。
次に、見栄のための消費。高級時計、ブランドバッグ、外車。これらが全部ダメだと言ってるわけじゃないんです。問題は「他人からどう見られるか」を基準に買ってる場合。
本当に機械式時計が好きで、その精巧な仕組みに惚れ込んで買うなら、それは趣味として健全でしょ。でも「この時計をしてれば、周りから一目置かれる」という動機で買ってるなら、それは見栄なんですよ。
見栄で買ったものは、満足感が長続きしない。なぜなら、常に「もっと上」が存在するから。100万の時計を買っても、500万の時計をしてる人を見たら、また惨めになる。終わりがないんです。
最後に、自己顕示欲を満たすための出費。自分を必要以上に大きく見せるためにお金を使うこと。これも見栄と似てるんだけど、もう少しタチが悪い。
SNSで「いい生活してます」アピールをするために、無理してホテルのラウンジで写真を撮るとか。実態以上の自分を演出するために、お金を使う。これ、やればやるほど虚しくなるんですよね。

要は全部『他人の目』を気にしてるかどうかだなw 自分が本当に欲しいものと、他人に見せたいものの区別がついてない人、多いよなw
そう、まさにそこなんですよ。共通点は「他者の評価軸」で自分の価値を測ろうとしてること。これをやってる限り、いくらお金があっても幸せにはなれない。上には上がいるから。
比較をやめたら、お金の使い方が変わった
FIRE達成して、前の会社を辞めて、地方で暮らすようになって、ぼくは誰とも比較しない生活を手に入れました。
出世競争とは無縁。年収マウントとも無縁。住んでる場所のマウントとも無縁。
フルリモート勤務なので、余計な対面コミュニケーションや雑談はない静かな環境での生活。
そしたらね、お金の使い方が自然と変わったんですよ。
「見せるための消費」が、ほぼゼロになった。
誰に見せるわけでもないから、高い服を買う必要がない。誰と比べるわけでもないから、車を持つ必要がない。誰に自慢するわけでもないから、SNS映えする生活を演出する必要がない。
結果、支出がめちゃくちゃ減ったんですよね。
で、代わりに何にお金を使うようになったかというと、本当に自分が満足するものだけ。
美味しいコーヒー豆。読みたい本。快適な睡眠環境。運動が楽しくなる靴・ウェア。
どれも他人に見せるためじゃなくて、純粋に自分の生活の質を上げるためのもの。これが「惨めにならないお金の使い方」なんじゃないかなと思うんです。

自分が本当に欲しいものと、他人に見せたいものって、冷静に考えると違うことが多いよね。そこを区別できるようになると、お金の使い方がすっきりするんじゃないかな

まあ、比較しなくなったって言っても、こうやってブログで発信してる時点でゼロじゃないけどなw
うん、それは認めるよ。ぼくだって完全に比較から自由になれてるわけじゃない。ブログを書いてる時点で、誰かに読んでもらいたいという欲求はあるし、PVが増えたら嬉しいし。
でもね、「比較ゼロを目指す」必要はないと思うんですよ。大事なのは、比較によって惨めになる頻度を減らすこと。SNSを見る時間を減らす。見栄のための買い物をしない。自己顕示欲に振り回されない。
こういう小さな選択の積み重ねが、結果的に「惨めにならないお金の使い方」につながるんじゃないかな。
「何が自分を幸せにするかを知るのは難しい。だが、何が自分を不幸にするかを知るのは簡単だ」
この言葉を胸に、ぼくは今日も淡々と暮らしています。派手さはないけど、惨めさもない。それで十分なんですよ。
現場からは以上です。


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