「東京は便利で豊かだ」とみんなが言う。
ミシュランの星の数は世界一。何でも揃う街。情報が集まる場所。そういうイメージが、東京という街にはある。ぼくもかつてはそう思っていたし、20年以上東京近郊で働いていた。
でも、出てみてわかった。
東京で「当たり前」だと思っていたことの多くが、生活の質を静かに下げていたんですよね。しかもそれは、お金が増えても根本的には解決しない問題だった。
ぼくは今、資産1億円を超えた状態で札幌に住んでいます。億り人になれば東京でも豊かに暮らせるんじゃないか、と言う人がいる。でもぼくは戻らない。今日はその理由を、「生活の質」という切り口で話してみます。
東京の「便利さ」は、不便さを隠している
東京が「便利な街」であることは間違いないと思う。選択肢の多さ、インフラの充実、24時間動いている街。これは本当のことです。
でも、その便利さを享受するために、あなたは何を払っているか。
移動コストがまず重い。満員電車、渋滞、どこに止めても取られる駐車料金。東京での移動は、体力と精神を常に少しずつ削っていく。「通勤時間が長いほど幸福度が下がる」というのは研究で繰り返し確認されていますが、東京の平均通勤時間は全国でもトップクラスです。
混雑コストもある。行きたい飲食店には行列ができていて、人気の店は予約が数ヶ月先まで埋まっている。週末に「ちょっとそこのカフェに行こう」と思っても、満席で入れないことが当たり前にある。
要は、「何かを得るためには常に見えないコストを払う街」なんですよ、東京って。便利さの裏側に、時間・体力・精神の消耗がセットでついてくる。

行きたい店に2時間並んで、満員電車で帰る。それが”豊かな生活”らしいぞw 何かがおかしいと思わないのが不思議だよなw
でも住んでいる間は、それが「普通」だから気づきにくい。むしろキラキラな生活をSNSで発信しているあの人も東京に住んでるんだから、その不便さが当然と思い込んでしまうのも無理はない。
「生活の質」を構成するもの ── 東京に欠けているもの
生活の質って、何で決まるんでしょうか。
収入、住環境、食事の質、人間関係、時間の余白、感性を育む環境。いろんな要素があると思うけれど、東京は特定の要素において構造的に弱い。
まず、自然と静けさ。星が見えない、月がかすむ、焚き火もできない。これを「些細なこと」と思う人もいるかもしれないけれど、人間の感性というのは環境に育てられるものだと思っていて、それらが全部ない都市というのは、感覚が鈍化していく環境でもある。
食の問題もある。東京の飲食店は、テナント賃料が全国最高水準です。家賃を払うために「回転率を上げる」「食材コストを削る」という選択を飲食店は迫られる。良心的なお店が続かない構造になっていて、結果として量産・冷凍・添加物頼みの料理が蔓延する。ミシュランの話をする人がいるけれど、あれは一部の富裕層・接待向けの話で、普通に日々の食事をする人の話じゃない。
肉フェス、ラーメンフェス、日本酒フェス。いろんなお祭りが毎週のように東京では開催されてるけど、どこも混雑していて何か食べるのも1時間待ちとか普通だし、買えたとしても次に座る場所を見つけるのも一苦労。だから、行きたくなくなる。札幌では大通公園で年に一度ラーメンフェスが開催されるけど、ぼくは昼休みにふらっと自転車で行って食べて帰ってこれる。
時間の余白にも問題がある。通勤・移動・行列で消耗して、「何もしない時間」が持てない。ぼくにとっては、静かに本を読んだり、ぼんやり考えごとをしたりする時間こそが幸福の中心にあるけど、東京はその種の余白を、構造的に奪っていく街だとぼくは感じていた。

生活の質って、プラスを足すより、マイナスを取り除く方が上がりやすいんだよね。東京の問題は、取り除けないマイナスが構造に組み込まれていること。お金で解決できるものじゃない。
所得が増えれば解決できる問題ならいい。でも満員電車は、タクシーに乗り換えればある程度解決できても、渋滞は残る。行列の問題は、高級店に行けば回避できるけれど、それはただの別のコストに置き換わっているだけ。根っこの構造は変わらない。
札幌に移住して気づいた「失っていたもの」
2024年に札幌に移住して、最初の数ヶ月で一番驚いたのは「静かさ」でした。
東京にいたときは、常に何かしらの音があった。電車の音、車の音、人の声、工事の音。それが「普通」だと思っていたので、気にしていなかった。でも札幌で静かな部屋にいると、自分の思考がクリアになる感覚があった。ああ、東京にいたときは、常に微妙なノイズの中にいたんだな、と。
食も変わった。スーパーに行くと、北海道産の野菜・魚・乳製品が普通に並んでいる。しかも安い。東京でそれなりの食材を買おうと思ったら、専門店かデパ地下に行かないといけなかったけれど、こちらでは普通のスーパーで事足りる。
時間の余白も増えた。通勤がなくなり(フルリモート)、移動に時間を取られることがなくなった。その分、読書、思考、睡眠の質が全部上がった。いまは目覚まし時計なしで起床できてる。
ストア哲学に「制御できるものに集中せよ」という考え方がある。外部の出来事は制御できないが、自分の判断と選択は制御できる。住む場所は、その「自分が制御できる最大の変数」のひとつです。環境を変えることは、自分の人生を整えることと直結している。

住んでる間は当たり前になって気づけないんだよね。出て初めて”あれは消耗だったんだ”ってわかる。変化って怖いけど、出てみると景色が変わることがある。
億り人になった今も東京に戻らない理由は、単純です。戻ることで手に入るものより、失うものの方が大きいから。
「東京じゃないと生きられない」という思い込み
とはいえ、「東京を離れたいけど無理だ」と感じている人も多いと思う。仕事が東京にある、人脈が東京にある、情報が東京にある。そういう理由で。
でも、「東京にいなければできない仕事」というのは、今どれだけ残っているんでしょうか。
フルリモートが当たり前になり、オンラインで会議もできて、クラウドで資料も共有できる。ぼく自身、札幌に移住してからも仕事のクオリティは何も下がっていない。むしろ思考の質は上がった。「東京の情報・人脈が必要」という感覚は、実際には「東京にいることへの慣れ」と「変化への恐怖」が混ざっているケースが多いんじゃないかと思っています。
もっと正直に言うと、「東京に住む」を選び続けているのは、合理的判断じゃなくて惰性・見栄・思い込みの部分が大きいんじゃないかとぼくは思っている。

でも東京じゃないと出会いとか、刺激とか、少なくない?コミュニティが違うじゃん。
東京の人の多さは確かに出会いの機会を増やすけれど、それが価値を持つのは若い人だけ。40歳を過ぎても新しい出会いとか刺激を求めるのは何か大きな欠陥がありそうだ。
また、刺激については、東京の刺激の多くは消費的なものです。情報過多・選択肢過多のノイズを「刺激」と呼んでいるだけで、内面を豊かにする類の刺激かというと、ぼくには疑問です。
街は消費するものであって、人生を消費される場所じゃない。
東京は確かに面白い街だと思う。年に何度か遊びに行く場所としては最高です。でも「住む場所」として、生活の質という観点から合理的に選ぶかというと、ぼくの答えはNoです。
億り人になった今でも戻らない。それはケチだからでも、人付き合いが嫌いだからでもなく、ただ、今の方が生活の質が高いから。それだけです。
現場からは以上です。


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