前回、友人の「FIREしたい」を、ぼくは 50 歳版の “year of hedonism” の宣言として読みました。
『科学的な適職』の 7 つの徳目で軽くモデリングしたら、欠乏があったのは達成・自由・仲間の 3 つ。そして父を亡くしたことによる人生後半の時間意識に変化が起きている。お金は制約から外れているので、悩みはお金で解けない層に移っている——ここまでが前編の分析でした。
今回は、前編に本気の返事を書くと約束した後編のつもりで書き始めたんですが、書いてみたらどうにもボリュームが大きくなってしまって。というわけでこれ、中編と完結編に分けます。中編の今日は、診断の底を掘り下げる回です。友達への返事は完結編で書きます。

前編が診断、中編は診断の底を掘る、完結編が返事と実例。そういう段取りだね。
「お金で解けない層」の正体は何なのか
前編の一番大事な切り分けをもう一度だけ書いておきます。
お金で解ける層(生活の安全、選択肢の確保)はすでにクリアしている。残っているのは、お金で解けない層——達成・自由・仲間、そして人生後半の時間意識。
でね、ここからが中編の本題なんですが、「お金で解けない層」ってひとくくりにすると見えにくいんですよ。もっと根っこに何があるのか、ぼくなりに言葉を当てると、これは 動機づけの問題 なんです。
何に動かされて生きているか。何に喜びを感じて、何に疲れるか。その中身が、今の友達のなかで変わってきている——というのが、ぼくの読みなんですよね。
「達成が枯れた」は、達成そのものの問題じゃない
前編で列挙した 4 つの欠乏のうち、達成を代表例にして開いてみます。
達成の徳目が枯れて見える、というのは実は二通りあるんですよ。
- 達成の機会そのものが会社にない(仕事側の問題)
- 達成という動機づけ自体が、自分のなかで力を失っている(自分側の問題)
1 なら「もっと達成できる場所に移る」とか「今の業務を編集する」とかで対処できる。でもぼくは友達の場合、2 の成分がかなり大きいと思ってるんですよ。
20 年真面目に走ってきた人間が「達成したい」という動機で今も燃えていれば、それはそれで炎が続いている。でも、長い付き合いだからわかるのは、きっとその友達の心の中に達成という燃料そのものが、もうそんなに効力を持たなくなってる感じがする。
そしてこれ、達成だけの話じゃないんです。自由・仲間についても、同じ構造があり得る。徳目が痩せて見える背景には、動機づけそのものが変質している可能性がある、ということ。

徳目の話してたのに、動機づけって別の話にならない?

徳目は『何が欲しいか(What)』のチェックリスト、動機づけは『何が欲しい自分なのか(Why)』の話。前者の枯れは、後者の変化で起きることがあるんだよ。
幸福のかたちは、一種類じゃない
そもそも話なんですけど、何に幸福を感じるかは、人によってだいぶ違うんです。世の中の幸福論が白々しく感じることがあるの、書き手の幸福観を全員に当てはめてくるからなんですよね。
ざっと並べると、こんなタイプがあります。
- がんばらず、楽に生きることが幸福な人
- 達成感や意義・やりがいで幸福な人
- 前進感や、何かを支配している感覚で幸福な人
- 難題に向き合って対処することが幸福な人
- ほかにも、人とのつながり、美的経験、知的探究……
どれが正解ってことじゃない。自分がどのタイプかを知っているかどうかが大事。そして、ここが厄介なところで、自分のタイプは一生同じとは限らない。

どの幸福感も、本人にとっては本物だよね。
人生後半で、動機づけの中身が変わる人は多い
20代〜40代前半の若い時期って、前進・達成・支配・難題対処で動機づけられやすいんですよ。出世、収入、スキル、新しい経験、実績の積み上げ。まあ、そういうゲームをやる時期。
ところが 50 歳前後で、これらが「もう十分集めた」「まだ欲しい」「別のものが欲しい」のどれかに分岐する。全然変わらない人もいれば、けっこう地殻変動が起きる人もいる。
アーサー・C・ブルックスの「人生後半の戦略書」という本のキラー概念は流動性知能から結晶性知能へのシフト。
- 流動性知能(処理速度・瞬発力・新規課題への対応力)は30代後半〜40代前半でピーク、以後下降
- 結晶性知能(経験を束ねて知恵にする力)は人生後半で伸びる
これは単なる能力の切り替わり話じゃなくて、何で動機づけられるかが変わることもある。瞬発で勝つ喜びから、知恵を分かち合う喜びへ、みたいに。
キケロも2000 年前に同じことを言ってます。老年の力は思慮・権威・知恵にある。人類がずっと知っていた話なんですよね。
でね、前編で触れた人生後半の時間意識——友達のお父様の死のこと——これはこの動機づけシフトの 加速装置として働いたんじゃないかというのがぼくの仮説。残り時間を意識することで、昔の自分を動かしていた動機づけが、急速に色褪せた。これはごく自然な反応だと思う。

50 歳で昔と同じ欲望で走れないのは、普通に考えて自然現象だぜw そこを『燃え尽き』とか深刻に呼ぶから話がこじれるんだよなw
だから50歳は、動機づけの棚卸しをする時期
前編で見た3つの欠乏(達成・自由・仲間)は、個別の徳目の問題というより、動機づけの中身が変質しているというサインが、個別徳目のかたちで顕在化していると読めるんです。
だから必要なのは、徳目ごとの個別処方じゃない。もっと手前の、動機づけそのものの棚卸し。
やるべき問いはシンプルです。
- 20 代、30 代、自分は何で動いていたか
- それは今も同じか
- 変わったとしたら、今の自分は何に幸福を感じているか
- これから先、何に幸福を感じる自分で在りたいか
この棚卸しを飛ばしてFIREするかどうかを決めるのは、目的地を決めずに電車を降りるかどうか議論するのと同じなんですよ。降りる議論だけ白熱しても、降りた先で何するか決まってないと意味がない。
逆に棚卸しさえ済めば、辞めるべきか続けるべきか、転職か、サイドFIRE か、個人事業主か、手段の選択は自然に決まる。

前編の year of hedonism ってのも、結局は『動機づけの棚卸しを経て、新しい幸福のかたちを生きる年』のことなんだよね。
というわけで、中編はここまで。診断の底に何があったか、というとそれは動機づけの変質だった、というのが本稿の結論です。
読んでくれているあなたも、もし「最近、前ほど燃えないな」とか「前と同じやり方が合わなくなってきた」と感じているなら、能力が落ちたとか気持ちが弱ったとかじゃなく、動機づけの中身が変わり始めているサインかもしれません。
完結編では、棚卸しが済んだとして、そこからどう動くかを書きます。ぼく自身が退職してフルリモートの仕事に転職した話——つまり一つの実例と、友達への本気の返事。人生なんとかなる、という話もちゃんと書きます。
現場からは以上です。


コメント